幸せとひとつの生き物
- 8月26日
- 読了時間: 2分
子どもの頃に夢中になっていたことには、
大人になってからの幸せのヒントがある。
という話がありますよね。
私の子どもの時を振り返ると、
「公園の滑り台の上に座り、ただ空を見上げている子ども」と
「草花および石をむやみに触っている子ども」
の情景が幸せの象徴のように浮かび上がってきます。
問いかけても、
具体的に何が楽しいとか嬉しいとかは返ってきません。
それが全てとでも言うように。
本当は、サッカーとかピアノとか具体性のある
誰に伝えてもわかってもらいやすい"夢中"が良かったなと
思ったことは数知れず。
ですが、やはり、今も同じだなぁと思います。
ただ、空を見上げることも、草花や石にむやみに触れることも。
幸せの象徴は、今も確かに私の中で息づいているのです。
「〇〇には、
呼吸する係とか、ご飯を食べる係とか、寝る係とかがあるんです。
何か自分の得意なことをやっていて、
それぞれが係の仕事をしていると、
全体がちゃんとひとつの生き物として成り立つんですよ」
これは、何年か前に、とある方に教えて頂いた話です。
記憶はちょっと曖昧で、
SF的な話だったのか、ゲームの話だったのか、
肝心の〇〇に入る言葉をすっかり忘れてしまっているのですが、
なんとなく、この話が好きでふと思い出します。
私は、空を見上げる係で、草花や石に触れる係。
これをしていることで、何か全体のためになっているのかもしれない。
そう思うと、抽象的な私の幸福は、いよいよ輪郭を得られた気持ちになって
ちょっとだけ誇らしくなるのです。
あなたは、何の係ですか?




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