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守られることの謙虚さ ー宮崎旅よりー

  • 6月6日
  • 読了時間: 2分

こんにちは。Yumikoです。


先日、宮崎県を旅してきました。


高千穂を中心に都井岬や日南エリアを廻ってきました。


そのときに気が付いたことをシェアさせてください。



宮崎を周っている間、ずっと


”守られることの謙虚さ” 


という言葉がついて回っていました。


少しばかり、どきっとしたのは


私自身が、”守られる”ということに、どこか懐疑的であったからだと思います。


・守られる = 平安・安全ではないということを意識付けるような言葉に感じる。

・守られる = 誰かの庇護を受けなければいけない。すなわち自由ではない。


という認識に囚われていて、


”守られる”を受け入れることは、どこか無力で不自由な感じがしていたのです。



そんな中、宮崎を巡りながら目にする風景や暮らす人々の様子は、


とても穏やかで、のびやかで、余白のあるもので、


温かな日差しと流れる空気には調和が含まれていて、


私も、すっかり寛ぎに満たされていきました。



そして、ふと、何か掴めてきた感じがしたのです。



私の持っている”守られる”は、


きっと「人」を対象にした”守られる”で、


とても狭い範囲で捉えている。と思ったのです。



そして、ひとたび、その範囲を広げて捉え直してみると、


全く認識が変わることに気が付いたのです。



「自然や大いなる何か」に”守られる”ということは


安心と安全に包まれていているということ


恩寵は無限に注がれているということ


そして、だからこそ


自然に感謝の気持ちや謙虚な気持ちが沸いてくる。



”守られる”ことは、ちっとも無力でも不自由でもなく、


とてもパワフルで自由なことなのだ。



そう思えたのです。



きっと、私はこういったことに気が付く必要があって


”守られることの謙虚さ”というフレーズがリフレインしていたのですね。


旅は、時折こうして、全く予想外の気づきをもたらしてくれることがあるので面白いです。


お付き合い頂きありがとうございました!


ree

この子たちも、きっと無条件に守られている😊


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